町のプロフィール
印刷用ページを表示する 掲載日:2011年3月1日更新
~ 集い ふれあい 助け合い ~
みんなで創る 人と自然が輝くまち きやま
心豊かな人との関係づくり みんなが進める協働のまちづくり 自然と共生したまちの魅力づくり

基山町のすがた
基山町は、佐賀県の東端に位置し、福岡県(筑紫野市・小郡市)、鳥栖市に接する面積22.12平方キロメートルの町です。古くから古代官道や長崎街道など主要道路が町域を通り、現在でも国道3号線、JR鹿児島本線、九州自動車道が縦走するなど交通の要衝地として発展してきました。
また、古代から地形的な条件にも恵まれているため、丘陵部や平野部に人々が生活を営んでいたことを示す数多くの遺跡が残されています。
弥生・古墳時代の遺跡からは、九州をはじめ各地域との交流を示す遺物が多く出土しています。
天智4年(665年)には、大宰府防衛のため基山(きざん)に日本最古の朝鮮式の山城である基肄城が築かれました。
この基肄(きい)城の麓には、大宰府から南下する古代官道の城の山道(きのやまみち)があった。その古代官道が肥前国府と筑後国府へ分岐する基肄駅(現JR基山駅付近)には、よその駅の2倍の馬がおかれていて、その当時から交通の要衝の地であったことがうかがえます。
天正15年(1587年)に基肄郡と養父郡の東半分が小早川隆景の所領となり、領域的な基礎が形成されました。
さらに、慶長4年(1599年)には対馬島主宗義智の所領となり、江戸時代を経て明治に至っています。
明治維新後は、廃藩置県の実施により明治5年(1872年)の園部村・宮浦村・小倉村・長野村が設置されましたが、同22年(1889年)に市町村施行令により4か村が合併し、基山村が誕生しました。
その後、昭和14年(1939年)1月1日に町制を施行し、現在に至っています。
